リスボン→エヴォラへ
二時間かけてエヴォラの街に着く。のどかで平和そうな街だ。町自体が、城壁に
覆われ いて、”城塞都市”みたいな印象を受けた。特に見るべきところもなく、
町をブラブラ しながら、ツーリストインフォメーションで地図をもらい、今日、
夜行の列車で明日、 スペイン・セビーリャに向かおうと、町外れの寂れた駅まで
歩いていく。その途中で、 さっきのバス停の窓口でセビーリャまでのバスが出て
いるか聞くが、対応が悪く、”今 日はない!明日にしろ!”と言っているのだけ
聞き取れた。しかたなしにそのまま駅に 向かい、そこで今度はとても親切で愛想
のいい窓口の兄さんに英語で(簡単な!)説明 してくれ、トーマス・クックの時
刻表通り、Villa.santo.antonioまで列車が出ていて そこから、バスか船でスペ
インに渡るしかないと言われて、どうしようか悩んでいたが やはり、当初ここは
夜行で行こうと決めていたんで、遅いが00:40発の夜行で行こ うと思った。
列車は予約車じゃなく、寝台車(クシェット)がないので、座って行くこ とにな
る。しんどいと思うがこれも変わっていてまたいい経験になるだろう。この駅員
さんに大感謝し、駅を後にして、町をまた徘徊する。偶然にまた、カテドラルの
付近で あの親子二人に会い、一緒にカメラを撮る。気をつけてTenga cuidado!.a
dios!しかし 今、公園のベンチで日記をつけているが、00:40までかなり時
間があるんで、何し ようか悩んでいる。町自体、特に変わったところもなく、静
かでセントラル公園付近に カフェテリアが集中していて、そこで旅行者や地元の
人達が座談議を思い思いにしてい る。ほんと、平和でのどか。見渡せど空は青く
て、何もない。こういう所にくると俺は だんだん不安になってくる。今の俺と同
じ年代の奴らは一生懸命、自分の将来に向かっ て仕事とか頑張ってんだろうなぁ
と・・。日本を離れると日本ではあまり気にしなかっ たことが突然、不安となっ
て表れ、自分を惑わす。これが日本に帰ってもまた、同じ事 なのに・・・。
しかし、暇だ。のどかだ。もう時間は7時を過ぎているのに、空はまだ 夕方のよ
うに明るい。・・・どうなるんだろう俺。・・・寂しい。
PM8:00頃、公園の近くにある、中国料理を食べにいく。豪華なところで、
少々入 りずらかったが、入ったはいいがここら辺では高級料理店らしく皆、正装
したカッコで 着て来ていて、俺は汚い古着のトレーナーにジーパンだから、しか
も汚いリュックなん か背負っているから、浮浪者だと勘違いされ、皆にジロジロ
見られる。しかし、飯は最 高にうまかった。ここに来てからまともに料理を食べ
ていなかったんで、腹一杯食って やった。それで(1510$)良心的ではない
か?。それでもまだまだ時間があまって るんで、駅近くのカフェテリアでコーヒ
ーを飲んで時間を潰す。(ヨーロッパのコーヒ ーは小さい。ヤクルト分くらいの
分量しか入っていない。)田舎は物価が安い。ボッタ くりもほとんどない。うれ
しい。PM10:00を過ぎて、駅で待つことにする。先ほ どの兄ちゃんがいて
”チケットは0:20から・・20分前に発券するよ”ということ で、一人静か
な幽霊でも出そうかというような所でジッと待つ。PM0:40 一両し かない
列車でcasa blancaまで行き、そこで長距離列車に乗りかえる。これがまたポル
トガルの軍人だらけで派手に音楽を鳴らして踊りまくっている。・・こっ怖い。
PM2 :00だというのに・・・。その後、Bajaという駅で軍人たちが降りて静
けさを取り戻 したかに見えたが、今度は残ったネーチャン達が音楽大音量で流し
まくり、落ち着いて 眠れやしない。おまけに体が底冷えするほど寒くて、どうし
ようもなく、ジャンパーを 被っていたが、ガタガタ震えが止まらない。しかし、
そんな事お構いなしに列車の旅は 続く。
スペイン・セビーリャへ行く
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