5月10日 Dimanche  晴れ AM7:30起床/
Bourges⇒Orleans

朝方、気分の悪い夢を見た。
この辺の気候は、朝方と昼間の気温差がかなりあるようだ。
今日はいよいよ、難航不落とされた砦の町、オルレアンに入るつもりだが、距離的に100km以上に及ぶ為、行けるかどうかはわからないが、なるべく早く進みたいし、明日は天候が崩れると今朝の天気予報で言っていたんで、少しでも早く、今回最大の目標の地である"Orleans"に向かいたい。そして一刻も早く"あの騎乗したジャンヌ"の姿を一日も早く見たい。
AM8:50。ホテルの隣のパン屋でパン(ほんとこればっか・・)を買い、ブルージュの町を出発する。
ものすごく昨日にも増して天候が穏やかで、"風"の影響もほとんど受けないだから、快快調!に飛ばし、ブルージュからオルレアンまでは110kmあるが、昼前の時点で64km走る。”たった二時間半で64km。驚異的なペースだ。やはり、今回オルレアンに向かうことにしたのは正解だったらしい。
昼飯を食っている時点で、後残り30km。体の調子もすこぶるいい。もう自分では何度も言ってきたが、まるで"オルレアンにいるジャンヌダルクに導かれるような感じ"だ。(嘘のような本当の話なんで、もし、同じルートで走る予定のある人は体感してみてほしい)なおかつ不思議とほとんど疲れも感じない。多分、これは多少はあるが、相対的に今までと違って斜面がなだらかなんだと思う。地形的に見て。
この頃になるともう喉もカラカラで水分を摂りたくなるが、それよりも先にどうしても進みたいという気持ちでいっぱいでそれどころではない。立ち止まるのが惜しい。一刻も早く"あの夢にまで見た騎乗したジャンヌ"を見たいという気持ちでいっぱいだ。
そうこうしている間に、とうとう念願のジャンヌダルク・ロードの起承転結の"承"であるオルレアンの町に到着する。約ここまで104km。時刻はPM2時30分。
もうほんとに自分の体力でここまで来れたのかどうか疑問が残るくらいのハイペースだった。
今日の寝床を探す前にどうしても"この状態のまま"で"あのジャンヌ"が見たかった。
オルレアンの町外れの高速インターチェンジ手前でコーラを飲んで、喉の乾きだけ潤してから、町のセントラル地区に向かう。しかし、ここまでの距離が遠い・・・。まだか?まだか?と思う気持ちを押さえつつ、先に進むとロワール川にかかった橋の中央付近で自転車から転げ落ちてしまう・・はあ情けない。
やっとの思いでセントラル付近まで来るが、今日は日曜日とあってセントラル広場の一部の歩行者天国(死語?)みたいなところでカートのアトラクションを催していた。
この町の片っ端から集まってきたであろう住民達、家族連れがごった返していて皆思い思いにカートを楽しんでいた。(楽しそうだなあ。)しかし俺はそんなものには目もくれず、1〜2日前に行なわれた年行事である"ジャンヌダルク記念祭"の余韻がまだ残っているこの街の象徴のカテドラルの西通りを自転車で進むと、パッと見えた・・・写真で見たあの勇姿。
まだ祭りの後片ずけでスタンドやら花束などでその広場はとても新鮮な感じが残っていて厳かな雰囲気だ。そして吸い込まれるように"そこ"に進んで行くと、眼前に現れた騎乗したジャンヌダルクの銅像・・いや、お姿。
思わず"そこ"に呆然と立ちすくみ、自分の体中の隅々からみるみる鳥肌が表れてきた・・・ちょうど一年前のあのマークトウェインの小説を思い出した。何度も"同じ"鳥肌を立てたことを・・・今、ここで同じ感覚が蘇った。

「同じ人物なのか?」・・初めて出た言葉がそれだった。
とてもあのドンレミの村で見た羊飼いの娘とは思えない。あの優しさとあどけなさしかなかったあの娘が、こんなに凛々しく、立派で、厳かで・・・。
見事な戦う乙女、いや、戦士。アルマニャック派の最高司令官となり、一国を守る為に立ちあがった""史上最強の戦士""の姿が自分の目の前に・・・。思わずその像の前にしゃがみ込み、掌を合わせ、そして言った。「あなたにお会いできて光栄です。世界で・・いや、歴史上もっとも美しく、そして強い女ジャンヌダルク。」・・もう後は言葉にならない。ただ時間だけが漠然と時を刻むだけだ・・・


たった走り始めて、たった6日間。距離にして約460km・・たったこれだけしか走ってないが、しかし俺にとっては何もかも初体験のことであり、冒険だった。しかし今、この"心"のジャンヌの姿を目の前で見て思った。
"バカな人間、とりえのない人間でも夢を持てばそれを続けることによって、何でも叶えられるもんかもしれないなあ"と。深々とそう思った。これで俺も自信を持てた。日本で忘れた"自分の本当の姿"を今、やっと取り戻せたような気がする。しかし、これで終わらない。これから後、"転""結"が残っている・・。パリ、そしてルーアンだ。夢は始まったに過ぎない。これから第2、第3とでかいウェーブが待っている・・後もうひと踏ん張りだ。

その後、ホテルを探し、荷物と自転車を置いてからカテドラルに向かう。
体は筋肉痛だし、暑さで日焼けして体中が痛い。しかしこの状態でカテドラルを覗いておこうと思い、歩いて行く。まるで母親のように涼しく出迎えてくれるカテドラル。いつも中は冷ややかで厳かな感じだ。
ジャンヌに纏わるエピソードが所狭しとステンドガラスによって再現されていてとても美しい。"カテドラルには何かに疲れた人間を癒してくれる、そういう力があるんじゃないか?"と思った。
ジャンヌにこの自転車の旅と天国の母親の御霊を守ってもらうようにお願いしてカテドラルを後にした。

外は中と違って日差しがきつく、フランスももうすぐ夏を迎えるんだなあと思った。

●今日の走行距離112km

この勇姿を見るためにここまで来た・・・ 言葉にならないくらい感動してしまった・・・。

5月11日 Lundi 晴れ AM7:50起床

今朝はとてもすがすがしい感じだった。天候は今日から悪くなると先週の週間天気予報で言っていたが、そういう気配がないくらい、雲一つない青空だ。
午前中オルレアン駅に行き、トゥ−リストインフォメーションで市街図を買うオルレアンの駅は綺麗にレイアウトされ、各テナントショップがたくさん集まっていて、駅とデパート(は大げさか?)がミックスされたような感じの所。電化製品の売り場で、今回持ってきていたDVCの価格を見てビックリ。日本の二倍以上もする値段で売られている。カセットを買うつもりでいたが、3000円以上もするのには驚いた。やはり電化製品は日本が一番安いんだろうな。

真近でロワール川を見たかったんで、川のほとりまで歩いていく。
思ったより川の流れが速く、鴨が浮かんでいたが、とても大変そうに見えた。
このロワール川と川に架かっている橋から見るカテドラルの壮大な姿は、時代の流れの"早さ"と合わせ、悠久の美を同時に感じた。
579年前、ここで見事、イギリス軍(ブルゴーニュ派)からフランスはジャンヌダルクという"神物"によって勝利し、そして100年戦争にピリオドを打った。そういう歴史、あるいは伝説が今のこの町並を見ていて、全く感じることができないくらい、平和で穏やかな"今"の時の流れを感じずにはいられなかった。
オルレアンの見所は、あの"ジャンヌダルクという戦士"がいる広場とカテドラルの美しさ、そして何と言ってもカテドラルからセントラル広場まで伸びる通り"ジャンヌダルク通り"に尽きる。本当に見事なまでの"勝利の通り"。この通りの景観は、脳裏に焼き付くくらいインパクトの強いものだった。
勝利の通り、「ジャンヌダルク通り」 町のどこからでも見渡せる勇姿。

5月12日 Mardi 晴れ AM6:30起床
Orleans⇒Tours⇒Chinon..Blois


朝、ちょっとしたハプニングがあった。
今朝AM7:42のTours行きの列車に乗ろうとホテルを出ようと思ったが、ホテルの出入り口の扉が鍵をかけられていたんで、出ることができなく、ドンドンと扉を叩いていたら、同じホテルに泊まっていたオッサンが降りてきて、朝っぱらから賑やかにやっていたから"怒られるかなあ?"と一瞬ヒヤっとしたが、穏やかな口調で何か俺に言ってくる。フランス語なんでさっぱりわからないが、"やかましい!"と怒っているのではないのは確かだ。何度も同じ言葉を言うんで(うれしい限りだ。)、しばらく耳を傾けているうちに「11号室の部屋に、ここの宿直の人がいるよ。行って開けてもらいな。」と言っていることが分かった。でも、どっちもみち、もう時間に間に合わないんで、この人のいいオッサンの好意はうれしかったが、諦めて二時間便を遅らせてTOURSに向うことにした。「こういうことがたまにあるから、安宿は注意しなければならない。まして、仏語なんて全く馴染み無いし、そんなこともし、事前に分かっていたとしても、どう言っていいのかわからないし、もうここはなるようになるしかないな。」という気持ちでいた方がいいと思った。

AM9:51発の列車でトゥ−ルに向うことにする。
列車は1時間30分くらいでトゥールに到着。鈍行だったが、車内はとても綺麗に清掃されていて、速度もほどほどに出ていた感じだった。日本人の人も数人乗車していたみたいで、やはりこの辺はいくつもの有名なお城が軒並みあるんで皆、個人で廻っているんだろう。
オルレアンで往復の切符を買ったつもりが、どうやら片道切符らしくて、全然言葉(あらかじめ暗記していた単語だけ)が通じていなかった事に気付く。しかし、列車の運賃もバカにならないくらい高いものだ。(片道89FF)
トゥ−ルについてからすぐにシノン行きバスの発券所を探すが、わからず、駅前のトゥーリストインフォメーションで尋ねてみるが、どうやらここでは詳細な出発時刻がわからないらしいので、列車駅の発券所で聞くことにした。
シノン行きの切符を買おうとしたが、お金を250FFしか現金で持ってきていなかったんで、てっきり往復切符だと思っていたオルレアンまでの帰りの切符分の予算を考えるとシノンまでのバス代が92FF(往復)なんで、とても足りない。どうしようかと思ったら、今日は”何かあるのでは?”と思っていつもは持ち歩かないクレジットカードを今回持ってきていたんで助かった。
ここまで来てシノン城に行かなかったらウソだし、何の為にトゥ−ルまで来たのかわからない。そして、なんとかシドロモドロ(いつもなんだなぁ)しながらも無事、シノンまでの切符を購入し、昼食に駅前のマックでハンバーガーを食べながらバスの出発の時間までまだ時間があるんで、何をしようか考える。
結局、トゥ−ルの町をブラブラすることにし、あちこち廻る。ここのカテドラルもかなり凝っていて、デカイ。でもやはり個人的にはオルレアンのカテドラルが一番キレイに見えるが。かなり建物自体の傷みが激しく、改修工事で右半分が工事用の足場やなんかで見えなかった。
街はオルレアンと違ってさらに大きく、人の数も多い。トゥ−ル大学という有名な大学があって、学生さんが勉強していたり、部活をしていたりと若者の街っぽくて活気があって明るい感じがした。観光客もかなりいて、ここを拠点にして城巡りするんだろう。

PM2:45のバスでいよいよシノンの街に向かう。
約1時間20分、かなり遠く感じたが正味46km程度しかトゥ−ルの街から離れていない。・・時間の間隔というものは不思議なものだ。
シノンの駅前に着き、日帰りのバスがキッカリ二時間後の18:00に出る。これを逃すともう今日は帰れなくなる。時間が限られているので急ぎ足でシノンにある城とジャンヌに関する建物を探しに歩き回る。ここのセントラル広場にもジャンヌが騎乗した銅像があって、こっちはオルレアンのよりも動作状態を形どったものだった。やはり迫力がある・・・。ジャンヌの目つきが鬼の様に見え、鬼神の如く恐ろしさをアピールしたもので、数々の敵を薙ぎ倒し進軍していく姿は圧巻で、インパクトの強いもの。
しばらく見つめていたが、なんせ時間が無いもんだからほどほどにして、メインのシノン城に行く。途中、道を間違え、遠回りしてしまい余計な時間をくってしまったが、なんとかシノン城に着き、シノン城に入るには入場料を払わなければならないので27FF払い早速、入城する。
人はまばらだが、やはり城から望むシノンの街並はすばらしく美しいもので、古き良き昔の厳かなたたずまいの景観がなんとも言えなく、もの悲しさなんかを同時に漂わした感じもする。"ああ、フランスにいるんだなあ。"と実感した。
いざ、出陣!。 シノン城から見る、すばらしい景観。
城の中には大広間で、ジャンヌが数人の中の貴族からシャルル7世を迷わず見つけ出したとされる物語の重要な場面の再現を蝋人形によって再現されていた
そして城から少し離れた所にある塔に、ジャンヌダルク博物館があったが時間が差し迫ってきていたんで、ほとんどパッパとしか見れず、そのままバスの出る駅前まで走ってUターンする羽目に。"やはりここも自転車で来たほうが良かったかもしれないなあ"と少し後悔しつつ、帰路につくことにした。
たった2時間だけで、ジャンヌダルク自身にはあまり触れられなかったが、それでもシノンという城のある町並の美しさというものはすごく印象深く残ったものだった。
見事、次期国王を見つけ出したジャンヌ
1時間後、なんとかトゥ−ルの街に戻り、時間も夜の7時をまわっていたんでちょうど、腹も減った頃だし、駅前近くのマルシェでビールを買って、駅のホームでサンドイッチを買い、帰りの列車の中で晩食を摂ることにした。

PM8:01発の列車に乗って帰ろうとしたが、チケットの窓口が混雑していて、5分前ギリギリに切符を買い、慌てて列車に飛び乗る。・・・これがとんだハプニングと出会いが生まれるとは思ってもみなかった。
列車に乗ったはよかったが、トゥ−ルの次の駅で列車を乗り換えなければならなかったらしく、それに気付かずそのまま列車に居座ってしまった・・・。
列車が別の方向に進み始めたため「あれ?おかしいな・・さっき乗っていた英語を喋っていた人が降りているし・・・もしかして?」と思ったが、もう後の祭りで、この列車はNates行きの列車で全然逆方向に向かう列車だった・・・。「しまった!慌てていたんで、あまりよく電光掲示板を見てなかった・・とんでもない列車に乗ってしまった!」。その後、すぐに検札員が乗車券の検札に来たんで、このオッさんも俺の切符を見て「オーマイガ〜ッ!」とビックリして叫ぶ。すると検札員のオッさんが「そのままちょっと待ってておくれ。」と言い残して、とりあえず自分の仕事に戻った。
ちょっとしてから女の人が俺んとこに来て、何やら片言の英語とフランス語のミックスで話し出す。・・これが"Sylive"という女の人との出会いだった。
彼女も列車の乗り換えをミスったらしく、俺と同じ境遇だった。彼女は何とか俺に自分の言っていることをわからせようと一生懸命、お世辞にも上手いとは言えない英語(ゴメンね!)で話してくれ、駅員さんと俺の隣に座っていたオヤジも英語が少し分かるらしく、事情を説明して、どこで降りたら一番得策かを掛け合っている。情けない俺はさっぱり訳がわからず、とりあえず、もうこの後の駅で乗り換えれる列車が無いんで、次の駅で一緒に降りて、タクシーでトゥ−ルまで戻ろうと言う。そして、彼女の言われるがままにして、殺風景な何もない駅で降り、一緒に駅前のバールまで行き、タクシーを呼んでもらうことにしたが、この町からトゥ−ルまでかなりな料金らしく、とても払えない・・というよりも"割り勘"ができない。なぜなら俺の手元にあるお金が32FFしか持っていなかったからだ・・・。
こうなったら仕方がないと、彼女はヒッチハイクでトゥ−ルまで行き、そこから友達にTelして、自分の住んでいるBloisからそのトゥ−ルの町まで迎えに来てもらうように頼んで、そして自分の家まで戻ったら、自分の車があるんでそれでオルレアンまで俺を送ってくれるというのだ。
見ず知らずな、しかも薄汚い外人にまさかこんな親切に・・いやフランス人にいるのか?と、今までのフランス人に対する見方が変わるくらい、すばらしく"人間味"のある人に出会えるとは思わなかった。
しかし、友達がどうも留守や都合でなかなか捕まらず、最後の望みの綱、妹にTelをし、"そこまで迎えに行ってやる"と言ってくれた。二人ともホッと一安心した。「・・しかしどうだろう、彼女のこの威風堂々とした態度。本当、女は逞しい。さっきから全然、顔の表情一つも変えず、ニコニコと笑顔で微笑んでくれ、俺に気を使ってくれる・・」こんなハプニングがまさかこんな展開をむかえるとは夢にも思っていなかった。
彼女は鞄からノートを取り出し、そのノートの切れっ端に""TOURS""と書いてパッと道路に掲げる。横で俺は親指を立てて、さながら気分はドロンズ&猿岩石状態。しかし夜ももう21時を過ぎていたんで、車の通りもめっきり少なくなり数台ポツリ、ポツリと通るだけでほとんど捕まらない。しかしこれはこれで楽しかった。2人で少しの英語とフランス語で会話し、時にはボディランゲージも織り交ぜながらコニュミニケーションをはかり、俺の夜食にと思ってさっき買ってあったサンドイッチを半分個ずつにして二人で食べたりして、ゆったりとした"貴重な時"を経験をした。
そんなこんなで1時間程ヒッチをしながらTOURSに向かって歩いたが、ぱったりと車の往来がなくなり、辺りも暗くなり始めたんでSyliveが「タイムオーバー」と言ってTOURSで23時に妹さんと待ち合わせしているから時間に間に合わなくなると言うんで結局、ヒッチはもう諦めてタクシーを使おうということになった。そして彼女が言う。「もう今日はオルレアンまで俺を送っていく事が難しい。私は明日、朝早くから仕事があるからその仕事にも影響が出る。だから今日は私の家で泊まって行きなさい。」と言うんで、俺はその”お言葉”に甘えさせていただく事にして、タクシーでTOURSまで向うことになった。この時点で俺の予定では明日、朝一番で自転車でパリに向かうつもりだったが中止せざるをえなくなった。
TORUSに着くと、小切手でお金を払うSylive。
俺がお金を持っていないビンボー旅行者だということが分かっていたんで、俺の分まで彼女が全部払ってくれた。・・本当に本当に感謝した。このまんまじゃ悪いと思い、ポケットの有り金分バールで彼女にコーヒーをご
馳走してあげた。(気持ちだけでも・・。)「もし彼女がいなかったらあのまま俺はどこまで行って、どうなっていたんだろう。」そう思うと少し背筋が寒くなった。
TOURSの駅のホームから妹に電話して、20分足らずで迎えに来てくれた。本当に優しい姉妹だ。妹はSyliveの妹とは思えない程マダムな感じ(失礼!)のドッシリとした(またまた失礼!!)体格のいい人で、こちらもとても愛想がよく、終始ニコニコと微笑んでいて"兄弟姉妹ってやっぱり似んのかなあ"とか思いつつ、妹の愛車アウディで高速道路をBlois(ブロワ)に向けてカッ飛ばす。時速約平均140kmで走っていたと思うが、それよりも恐ろしいくらい運転が乱暴だ。後ろに座っていた俺はまさしく”ペンドリ−ノ状態”・・振り子のように左に右に転がされる・・。俺自身、生まれてこの方、車の後ろに座ってシートベルトなんてかけることはしたことなかった、Syliveが「かけておけ。」と言った意味が今、わかったような気がした・・・。
約40分、悪魔のような"恐怖のミッドナイトハイウェイ"が終わり、それとともにブロワの駅前に着いた。フランス語は分からないが、なんとか妹さんにお礼を言い、笑顔で送ってくれた妹、フォン・ソワゾンにMerci.Au revoir!もう、この時点で午前0時をとっくに過ぎていた。
駅前のパーキングに止めていたSyliveの愛車ルノーで彼女の家に・・・「やっぱり兄弟姉妹似るんだ。」と今、確信した。またまた"恐怖のミッドナイトドライブ&ゴーイング・マイ・ウェイPart2"。俺はスタントマンにでもなったかのような気分になった・・・。5分くらいで彼女の家に着き、彼女のマンションの部屋で待っていた二匹の愛猫リトゥンとルテス。すごくかわいくて、気品も良くて毛並みもいい。・・でも俺は"猫アレルギー"なんだ。
彼女の部屋は”女の子の部屋”ではなく、"大人の女の部屋"だった・・・。ここまで本当、ゆっくりと丁寧に嫌な顔一つせず、話してくれたSylive。バカな俺は、3〜4回繰り返して同じことを聞き返す。ほんと、情けないなあしばらく身振り手振りながら会話をしていたが、話が尽きはじめ、だんだんと沈黙が多くなってきて怪しげなムードがこの部屋に立ち込めてきた。
彼女は「シャワーを浴びてくる。」と言って部屋を出ていった・・。俺はなんか頭の中が悶々としてきて変な気分になってきた。「い・いかん!いやらしい気分になってきたぞ!」。しばらくして、彼女が出てきて「あなたも入って」といってきたんで、「ああ、もうこれはありがちな展開になってきたな。」と思い、これは「すええぜん、食わぬは男の・・いや、日本男児の恥!目の前にはフランス人がいる!これはもう・・遅れ馳せながら海外デビューのチャンス到来か?」・・・・・でもバカバカしいからやめた、というよりもどうやって"きりだしたらいいのか"さっぱりわからないし、本当かウソだかわからないがボーイフレンドがいるとか言っていたんで、もしなんかあった場合、めんどくさいことになる。それよりも勇気が無い。「ああ、もっとフランス語が・・・いや、せめて英語のラブトークでも話せたらいい想い出ができたかもしれんなあ・・」とかなんとかシャワーを浴びながら一人でアホな妄想していた俺だった・・。
結局、沈黙の間に二人とも別々のベッドで寝る事に・・・「これでいいんだ、これで・・・」。俺はそんなキザなことできる人間じゃない。
そうこうしている間にベッドでウツロウツロし始め、ルテスが俺のベッドの足元で遠巻きに俺を”監視”していた。ほんと、とんでもなく長い貴重な時間とこれぞ俺が求めていた"旅"の姿(人と人との触合い)を経験した一日った。
ルテスは終始、俺を”監視”していた。お前はパラディンか?

5月12日 Mercredi 晴れ AM6:50起床/

>朝一のオルレアン行きの列車に乗る為、早い時間に起こされる。
"Takane.Takane!"と親しく名前を呼んでくれるSylive。非常にうれしいまさかフランス人にこんなにやさしくされるなんて。ほんと、夢にも思わないというよりもまだ夢を見てるんじゃないか?などとバカなことを考えている暇も無く、朝食にパンと手製のチョコレートミルクをご馳走してくれた。
そして時間が迫り、楽しかったひとときも終わりを告げ、そのまま急ぎ足でブロワ駅までSyliveに送ってもらう。彼女も朝早くから仕事があるんでモタモタしていられなかった。俺は彼女の車の中で、その駅まで送ってもらうまでの間なんとか即席暗記したフランス語でせめて一言お礼をどうしても言いたかったが、あまりの急ぎ足に言うタイミングを逃し、何を言いたいのか分からなかったであろう、いつもの英語とフランス語とボディランゲージのミックスでお礼を表現して列車に飛び乗った。
そして、彼女が最後に俺が教えた日本語"さよなら"を覚えていてくれていてそれをバッチリの発音で言って贈ってくれた・・。本当、その時は涙が出るくらいうれしかった。なんて俺はバカな男なんだろう。こっちがまったくもって世話になりっぱなしだったのに何も言えなかった自分が情けない。口があるのに・・・。言葉の壁ってのは本当に酷なもんだ。・・だがしかし、言葉にできない分、何か身振り手振りでしか通じないもんがあるんじゃないかと俺は思う。少なくともウソや偽りは表現できないと思う・・。
Syliveと別れる時に、俺の大事にしていた"ナスカの地上絵のペンダント"をプレゼントしてあげたかったが、それを渡すことすらできなかった。この分、絶対に俺の夢、目標、自転車でルーアンまで行って、ジャンヌの最期をこの眼で確かめ、そしていつか、その旅行記が話せる時が来たら、彼女に伝えてあげよう。これが俺にできるせめてもの恩返し。そしてまたもう一度、お会いしたいものだ。

オルレアン、トゥ−ル、シノンと一日で見てきたが、500年以上も前、物語の中心であったこれらの街で活躍した""伝説の戦士ジャンヌダルク""は今はいなくなって、現代に逞しく生きるジャンヌは、穢れないほどやさしく、人間味溢れ、美しくて、けれど『平凡なジャンヌダルク』はこのフランスに実在していたなと列車の中でフッと思った。
全てのものを時代を超えても、皆の心に生きつづけている。
花の都パリに向け、突っ走る⇒
しんどいから止める
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