5月14日 Jeudi  曇り AM7:15起床
Oleans⇒Paris

今日は死んだようによく寝た。昨日はあまり寝ていなかったからだろう。
とうとう今日は出発の日。なんだかんだ言って、オルレアンに4日間泊まってしまった。しかし、オルレアンが大好きな町になってしまったから、そんだけ居たということだ。これからフランスの首都パリを目指す。天気は悪いが、なんとか花の都パリまで辿りつきたい。パリの人達、町並ははたしてどんなのだろうか?胸が高鳴る

AM8:20ホテルを出発。ジャンヌダルク広場で最後にジャンヌの"姿"を脳裏に焼き付けて、オルレアンの町を後にする。これから今回最長の距離、114kmという自転車の旅が始まる。
5日ぶりに長距離を自転車こいで行くんで体の鈍りが心配だったが案の定、20kmくらい走ったら雨が降り出すと共に体もバテ始めた。しかし、天は味方していてくれて、5分か10分くらいの小雨ですみ、そのまま体のだるさを引きずりながらも快調なペースでパリまでコマを進める。昼1時の時点で66km走る。久しぶりにしては順調なペースだ。
そしてイル・ド・フランスに入り、N20号線をひたすら前進。
なんとかパリ近郊まで進んできたが、自転車が走ってはいけない道路を走っていた様で、往来する車がクラクションを鳴らし、その事を知らせてくれる。はじめ「なんでやかましく行き来する車ごとにクラクション鳴らすんだろう?俺、ちゃんと右側の端、走ってんのに・・。」と思っていたが、よくよく考えてみたら、車のスピードが異常に速くなってんのに気付いた。「これひょっとして高速道路ちゃうんか?」。道路の中央に看板が出ていて、何書いてるかわからないが看板の絵がそれっぽかったんで「間違いないな。」と悟った。でも、入ってしまった以上引き返すこともできないんで、「なるようになるしかないな。」とそのまま進んで行くと、しばらくして背後から鈍いゆっくりと
したクラクションを何回も鳴らす車がいて、パッと振り返ると"Police"だった。
「お前、ここは自転車通行禁止だぞ。何やってんだ。」・・・怒られた。当たり前かあ。しばらく車内で職務質問されたが、なんせ俺、違う国の人間なんでフランス語がさっぱりわからない。ポリスも「外人だから仕方ないか。」と大目に見てくれ、「パリのどこまで行くんだ?近くまで乗せっててやるよ。」と言って、パトカーに俺と自転車を便乗させてもらい10km足らずをパトカーで移動することになった。この時俺は内心、少し心に葛藤があった。「自転車に乗って、パリまでゴールしたかったなあ」と・・バカだなあ俺・・。

高速道路を降りてすぐのガソリンスタンドで俺と自転車を下ろしてもらい、ポリスが「ところでお前これから何処に向かうんだ?」と聞いてきたんで、「ルーアン(Rouen)」と言うと二人のポリスは顔を見合わせて驚いていた。
やさしい二人のポリスにお世話になり、パリの南端の町で降ろしてもらったということだけはわかったが、さすがに都会らしく、さっぱり土地感がわかないおまけに今まで無傷で一緒に走って来た自転車が前輪パンクしてしまって、「ジ・エンド」。パリのどの辺かもわからないし、しかたなしにガソリンスタンドでコーラを買って、目の前に公園があったんで、そこで一休みしながら対策を考える。
30分くらい休憩して、とりあえずパリには着いているし、今日これといってやっておかなければならないこともないんで、ホテル探しをすることにした。バス地図を見ながらなんとかここが「モンパルナス地区」の近くだということがわかり、自転車を押しながらとりあえず駅とモンパルナス・タワーのある方向へ向かう。やっぱりパリは首都だけあって、人の数といい、店の数といい、半端な数じゃない。また世界有数の観光地とあって、ホテルの数も並大抵のものじゃあない。
しばらくてくてく歩きながら人気のない路地裏のホテルを見つける。「一泊130FFか。まあパリ辺りならこんなモンかなあ。」そこで泊まることにした。しっかし、この安宿は安いとは思うが、"チョ−"がつくほど汚い。こんな汚い部屋はペルーのあの一泊460円で泊まったアグアスカリエンテス以来だ。「・・こんなホテルが花の都パリにあるなんて・・笑っちゃうなあ」つくずく似合わないなあと思った。この"花の都"にゴキブリが巣食っている
安宿・・すごいアンバランスな関係に。「・・とりあえず一泊だけにしよ。」
今日は久しぶりに、しかも今までで一番長い距離走ったんで体全体が疲れた。近くのスーパーでビールを買うが、ビールにしてはあまりにアルコール度が高かったんで(なんと10%)、すっごく酔ってしまい、体の疲れも重なって方向感覚が無くなってしまい、町を右往左往して、なんとか元の場所を見つけホテルを出る前に今日はここで晩飯食べようと決めていたCHINO料理を食べて、あの汚いホテルに戻った。本当、体の芯まで疲れた一日だった。

●今日の走行距離114km

フランスの首都パリに着く。はじめて見る大都市。

5月15日 Vendredi  晴れ AM8:10起床

体がだるい・・。筋肉痛は無くなったが、ものすごくダルイ・・。
起きてからすぐに自転車のパンク修理に行く為、近くの自転車屋に持っていく直るまで少々時間がかかるというんで、その足で市内観光に出かける。多分、杉花粉だろう。街路樹の木の花粉が目や鼻にやたら入り込み、グズグズ
ショボショボさせる。
モンパルナス駅、モンパルナス・タワーを見学して、すぐにパリのシンボル、エッフェル塔に向かう。5〜10分くらい歩いたらすぐに、顔を現した。さすがにでかい。びっくりはしないが本当、東京タワーとよく似ている。でもこっちの方は造りはゴシック調なんで、さすがはフランスという感じ。・・それぐらいしか感じない、俺は。
ロダン美術館を経由してエッフェル塔の真下まで歩み寄って行くと、さすがはパリ、いやフランスを象徴する建物だけあって観光客の数がべらぼうに多い。ひっきりなしに観光バスが入れ替わり立ち代り入っては出て行く。真近で見ると本当、吸い込まれるくらい美しく、でかく感じる。柱の骨組みが"職人気質"みたいなもんを感じた。俺もここではもう完全に一観光客になりきり、DVを撮りまくる。そしてそのままエッフェル塔の背後に流れるセーヌ川を渡り、第2の名物建物"凱旋門"まで歩いていく。
かなりエッフェル塔からは離れていたが、ここの観光客を乗せたバス、そして一般人も含めて交通量の多さと言ったら今までとは桁違い。もう、パレードだ「さすがは世界有数の観光スポットだな・・」ナポレオンが創らせたこの門は真っ白で、太陽の光りのバランスをうまく使った、とてもこの国らしく、おしゃれ芸術を追求した国民一人一人の"誇り"みたいなものを感じ、俺、改めてフランスのパリに来たんだなあと実感した。「そういや不思議なもんで、もうフランスには2週間も居るのにまだ、この二つの有名な建物を見てなかったんだよな」と思い、とても’滑稽’に思え笑けた。
凱旋門から延びる有名な通り、そう、シャンゼリゼ通りは人々でごった返し、皆、思い思いにウィンドウショッピングやカフェテラスでの談笑が絶え間なく続いていた。
それから昼も過ぎていたんでもう、自転車も修理できてるだろうととりあえず自転車屋に引き返すことにするが、昼も過ぎると暑さもだんだんピークに達し30度くらいまで上がり、暑くて暑くてバテだし、なんとか元のモンパルナス地区まで戻る。約10kmは歩いていたように思う。無心でなんかを追っかけていたら、疲れも忘れてしまうから恐ろしい。ふと我に返るとえらい距離を歩いていて、とても大変だった。バスやメトロもあるが、何せ今回の目的が"歩ける距離範囲は歩く"と決めていたんで、しかもお金の節約にもなるし一鳥二石だが、本当、エライ・・。しかし、こういうアナログ的な旅もいいもんだ。
戻ると無事、自転車も直っていて、いよいよ後、パリからルーアンまでのラストロードになった。後3〜4日、パリに居るつもりだが、そろそろフランス・フランのT/Cもわずかになってきたんで、なるべく節約し、見れるだけ見て、悔いだけ残さないようにしたい。
夜のシャンゼリゼ通り。まさに”光りの絨毯” チャリンコで夜のパリのシンボルを見る・・

5月16日 Samedi  晴れ AM8:00起床

朝から昨夜決めていたヴェルサイユとパリにあるジャンヌダルク教会を"ニューバイシクル"で向かうことにする。
モンパルナス駅SNCF線を辿ってジャンヌダルク教会に向かうが、どうやら線路を間違えてしまったらしく、ずっと南のわけのわからない所まで行ってしまい、余計な時間をくってしまう。クラマール地区周辺でポリスや町の人たちに道を尋ねながらウロウロしていると、何とかジャンヌダルク教会を見つけ出せた。
パリの中心から少し離れた全然目立たない場所にポツンと・・しかもプレハブみたいな掘っ建て小屋みたいな教会で、教会後方は児童学校になっていた。
オルレアンでは"アレ"ほどの英雄で、何処に行っても「ジャンヌダルク」だったが、"今"の時代の首都パリではこんな扱いだ。・・なんか感慨深くなる教会の中にも入れないんで少し気分が悪くなったが、でも逆を言えば"ない"よりまし、と思っておけば腹も立たない。・・しかし、577年前、フランスを救った救世主が「この国の中心で」こんな扱いを受けているとは・・・。
かなり利便性の悪い所にある、ジャンヌダルク教会。 教会の傍らにポツンと・・。金ぴかの乙女
気を取り戻し、ベルサイユ宮殿に向かう。
これもかなり道に迷ってしまい、間違ってまた自転車通行禁止の高速道路に入ってしまい、大慌て。今度で二度目。これでまたポリスに捕まったら今回はマジで日本へ強・制・送・還ものだ・・・。
しかしパリはやはり首都だけあって本当に広い。今までの下町とは桁違いで、少し動いたらもうわけがわからなくなる、というかどこをどう走っているのかさっぱりわからない。地図も持ってないし、長年の"勘"?と方向感覚だけが勝負だ。
なんとか道に迷い迷いもってでも目的のヴェルサイユに着き、遅れ馳せながら(PM2:00)昼飯に近くのサンドイッチを食べる。
その後、宮殿前の広場に自転車を置いて宮殿内に入る。ものすごい観光客の多さだ。その半分くらいが東洋人でしめていたように思える。プチ・トリアノン、グラン・トリアノン、ネプチューン、アポロンの泉など見て廻るが、なんせこういうのには興味がないし知識が全くないから、たいしてなんとも思わない。特に「美しい」とか「凝っているなあ」とか・・・。もう
目が肥えてしまったんだろう。
宮殿内(入場料35FF)に入るが、これも特になんとも思わない。これならよっぽどカテドラルのステンドグラスの美しさの方が俺はよっぽど勝っているとさえ思った。(あくまで俺自身の価値観で物事を判断してるんで・・感覚がおかしいかなあ・・)。とにかく"観光客用の為の物"というのが、率直な感想だった。
ヴェルサイユ宮殿前にて。
PM5:00、帰りも自転車なんで見学も程ほどにして、帰路につく。片道は多分15kmはあると思う。アップダウンも半端じゃなくて、荷物はないが、それでもかなり苦しい。パリまで1時間半かかって帰るが、もうバテバテで、なんせ道が迷路のように東京と同じだろう、それくらいにわかりずらい。もし、エッフェル塔やモンパルナス・タワーのようにどっからでも見渡せる高い建物がなかったら、もっと帰るのに難儀していただろう。こういう建物を創った人につくづく感謝。
帰ってすぐにビールをガバガバ飲む。・・運動の後のビア−は最高にう・ま・い、贅沢な気分だ。・・しばらくしてフッと思った、「今までよくあんなボロイ自転車であの人口200人くらいのドンレミの村からこの大都会パリまで来れたな」と。ヴェルサイユまでたった片道15kmくらいしかないのにかなりきつくてしんどかった。なんでそんなふうになるんだろう?。いままで約600km走っているのに・・・。不思議だ。ああ、残すはラストロードとなるルーアンだけになったなあ・・。
現代の中心都市に逞しく生きるジャンヌダルク。

5月17日 Dimanche  晴れ AM8:00起床

朝、起きたら腹の具合が悪く、少し体がだるかった。昨日、多分夕飯に食ったサンドイッチが悪かったんだろう。
今日は市内観光のみの日。
モンパルナス広場、コンコルド広場、ルーブル美術館、オランジュリ美術館、シテ島地区のポンヌフ橋及び、ノートルダム寺院、バスチーユ広場、ポンピドゥーセンター、オペラ・ガルニエ座前を自転車でグルリと見て廻る。しかし、本当観光客の多いこと、観光客でごった返していて廻って見ていくのも一苦労だ。日本人のパリ在住の方もかなりたくさんいて、やはりここは国際都市なんだなあと改めて実感させられた。
夕方、ピカソ美術館に向かう。3500点と作品の数はスペインのピカソ美術館を凌ぐが、それほど眼に止まるものはなし。ピカソ晩年期の作品が主だった
しかしこれがもし、自転車がなければ、この広いパリを一日ではとても見て廻ることはできない。やはり公共機関を使わなければしんどい。それくらいパリはでかい。パリッ子達はローラースケートが好きみたいで、ローラーブレードとサイクリング者達がやたら目に付いた。
今日は特に何も変わったことのない穏やかな一日だった。
新しい新世紀に向かって進軍すべし。

5月18日 Lundi  晴れ AM8:00起床

朝起きてすぐに宿替えの為、今のホテルを出発し、長かったゴキブリ君、アリ君の面倒もこれで終わりとなる。サヨナラ!元気で暮らせよ。
明日すぐにルーアンに向かえるようにセーヌ川を渡り、北側地区のサン・ラザール駅近くに移動し、そこの近辺で宿探しをとろうとしたが、なかなか安宿がなく、今日は最後のパリの夜だからリッチ(ちょっと)に3つ星か2つ星くらいのホテルに泊まろうとしたが、あまりの値段の高さにビックリ!2つ星450FFが平均で、これはとてもじゃないけど予算オーバー。やはり、花の都パリは高い。リッチマン&リッチガールしかここでは旅行はできない。
一時間以上、サン・ラザール駅周辺をうろついて、そのうろついた甲斐あって、手頃な宿を探し当てた。ラッキーだ。しかし、一つ星のホテルっていうのはこのパリの町ではないのか?今まで見たことがない。本当、貧乏旅行者にとってはつらい国だ。体が疲れる。やはり、なんでも安く上げようと思ったら、体を動かさなくては・・・。
ホテルは安宿特有の?ホテル自体が傾いているのか、この部屋だけが傾いているのかわからないが、平均5〜7度くらい床が傾いていて、ボールを転がしたら勢いよく転がる。しかし、今朝まで泊まっていたあのホテルよりきれいなんで、まっ嫌いなゴキブリ君がいないだけよしとするか。なにかやはり安宿にはどこかしら欠点というものがあるんだろう。(今、これを書いている時、ドライヤーの消費電力が高く、ブレーカーがとんでしまい、懐中電灯の持参のものの下で書いている・・・悲しい。)
荷物を置いてすぐにルーブル美術館に徒歩で向かう。やはり世界3大美術館だけのことはある、月曜日だというのに見学者の数の多いこと・・・すごい。欧米、東洋あらゆる人種がこの空間を共有し、芸術のすばらしさを堪能している。しかしこの美術館、朝、マゴマゴうろついていたせいもあって、入場が昼の1時頃に入ったが、広いのなんの、半日くらいではとても急ぎ足でも見て廻れないくらい広いし、また膨大な作品の数々で、約26000点以上の展示数があるというから驚きだ。プラド美術館のゆうに2倍はあると思う。
有名なガラスのピラミッドが入り口になっていて、そこから入場し、リシュリュー翼、ドノン翼、シュリー翼と3つのセクションに分かれていて、最初はドノン翼から見て廻ることにした。古代ギリシャ、エジプト文明の展示物を見るが全く予備知識とかないんで、チンプンカンプン。2階に移って、イタリア、フランスの19世紀頃の絵画をじっくりと鑑賞。
あの超有名なレオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」が特別な重厚ガラスによって厳重に収められていた。「・・この廻りだけはさすがに黒山の人だかりだなあ」なかなか真正面では見れない。絵画を見ながらウロウロとしていたら、俺はとんでもないことに気付いた。どこぞの日本人観光客が「あれジャンヌダルクだ。ドラクロワの描いた
ジャンヌダルクだ!」おもわずビックリしてパッと横を振り返ってみると、見覚えのあるフランス国旗を掲げて進軍する一人の女神と群集。「・・これがドラクロワが描いた"群集を導く自由の女神"・・ジャンヌダルクか?」と思うと同時に、あまりの世間知らずと知識のなさと無知な自分に少し嫌気が差してしまった。
「今、フランスにいて、しかもジャンヌダルクのこと追っかけてんだろ?それぐらい知ってて当然だろ?」・・自分に問いただしてみた・・・。
ドラクロワという人物さえ聞いた覚えがある程度で、「この人がジャンヌダルクを描いた人か・・」カメラを持ってきてなかったんで写真として残すことはできなかったがその分、一時間近くジッとその作品の前で、たった"それだけ"を見つめていた。すごく感慨深けな感じになり、「ああ明日、いよいよラスト・ロードのルーアンまで行くのか・・・」思えば、ジャンヌダルクのことを知りたいだけでフランスに来て、追っかけていたつもりが、いざ蓋を開けてみれば、結構"フランス観光客の一人だよなあ"とふと気付いた。
その作品を見つめ、今までのフランスでの旅の出来事が走馬灯のように頭を横切っていた。「後もう2〜3日でフランスとも別れ、別の国に行くことになるが、最後の日まで存分にフランスを見てみたい・・ジャンヌダルクを通して・・・。」
花で彩られたヒロイン、そして・・Paris
最期の地、ルーアンに行く
最期は見たくないし、ダルイからもう止める。
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