5月19日 Mardi  晴れ AM7:20起床
Paris⇒Rouen

フランスに来て20日間たつが、ドンレミ、ヌフシャトーで雨を見て以来、全然天候に恵まれている。オルレアンからパリに来る前に少し降っていたが・・・。
最後のジャンヌダルク・ロード、ラスト・ロードとなる今日、フィナーレを迎える。長かったこの自転車のロング・ロードも本当に今日で最後。天候にも恵まれ、まるでジャンヌダルクが導いてくれてるように・・そうしてくれているのかもしれない。なんとかノートラブルで最期の地、ルーアンまで行き、そしてジャンヌダルクの最期と自分自身の夢だった「ジャンヌダルク・ロード」に終止符を打ちたい。安全に・・だから安全に一歩一歩前に進みたい・・・

AM8:20、ホテルを出発。
順調にサン・ラザール駅からルーアン方面である北西に向かってペダルをこぐが、やはり途中で迷ってしまった。都心だけあって迷路のように入り組んでいて、なかなか活路が見出せない。「どうしよう・・」不安と戸惑いが生じる。
なんとかフランス地図と地区地図を頼りにして、ルーアン方面であるCergy,Pontoise方面の道を見つけ出す。ここまで約1時間半かかってしまった。やはりもっと下調べをしておかなければだめだ。余計な時間をくってしまう。
その道を頼りになんとかN14号線に辿り着き、後はこの道路を一直線に進むだけだ。なぜならこの道は、ルーアンまでの「TAO」道だからだ・・・。
ホッと一息もつかの間、昼前の時点で、後86km残っている。さっき買っておいたオレンジジュースと昼御飯にと、リンゴ一個を飲食しながら、ほとんどノンストップ状態で先に進む。しかし途中、やはり燃料切れが生じ、近くの通りすがりの町のパン屋でデコレーションケーキとコーラを摂り、一服してから時間も無いんで先に進む。
この時点で後残り24km。時刻はPM15時。この辺りまで来ると、胸は高鳴り、心臓はバクバクして緊張し始め、もう、オルレアンに行くとき同じ様に、「何かに」導かれるように・・と言うよりも、「とりつかれたように・・」前進する。
多少のアップダウンなんかも軽々と乗り越え、ハイスピードのフルスロットル状態だ。体の調子も楽々でノリにノリ、後、残り10km地点まできた時にはもう、体が何もかも終わったように緊張感からも開放され、長かった「ジャンヌダルク・ロード」も後10kmだと自分に言い聞かせ、ラストスパート。そしてルーアンに辿りつく。
最後の山を登り、そして曲がりくねった下り坂を下って行くと、高いトンガリ帽子が三つ見えた。「あれがジャンヌダルク教会?あれがサントゥアン教会?それともジャンヌダルクの塔か?・・いや、ノートルダム寺院だ。」などとマゴマゴしているともう眼前はルーアンの町並。第一声が「す・すごい!最高に美しい町だ!!」と何度も自分自身に言っていた・・。

そのまま、ジャンヌダルク橋と思われる橋まで行って渡ってみる。
これでパリから最後の目的の地、ルーアンまでの道のり、約140km。全走行距離約720kmに渡る自転車の旅が終わった・・・。

何か、ジャンヌダルク橋を渡ってからドッと疲れが出てきて、感慨にふけっている状態ではなかったが、それでも「心の底にあるもの」がジーンとさせていた。
この旅を始めて2日目、もうバカバカしいから止めて、交通機関を使って移動しようかと思ったが、「"何の為に"こんな遠い国まで来たんだかわからないじゃないか」と自分に言い聞かせて、なんとかここまで来た。
日本じゃとてもじゃないがやりたいと思わないが、フランスには「目的」があったからやれた。「目的」・・そう、「夢」がそうさせた。
「やればできるじゃないか?」今まで納得いくまで"何かをやり遂げる"という事が自分には無かったように思う。あまり、やり遂げた後の"達成感"というものも味わったことがないように思う。この"無意味な行動"の中に「本当の達成感や充実感」があったのかもしれない。「やればできるんじゃないか?」・・自分自身に何度も言い聞かせ、ここまで来れた。

「ありがとう、ジャンヌダルク・・ありがとう、天国にいるお袋・・」俺はまた一歩、人間として大きくなれたような気がした。

●今日の走行距離137km

広大に広がるノルマンディ地方の風景 後もう少しで最期の地「Rouen」

5月20日 Mercredi 晴れ AM7:05起床

昨晩から昨日にかけて気分のすぐれない夢を見て、なかなか寝つけず、朝方の5時くらいまで寝たり起きたりして、ゆっくりと寝つけなかった。多分、昨夜飲んだビールで(多分"地ビール"だと思う)悪酔いしてしまったんだと思う。疲れも重なっていたんで、そうだろう。
話は変わり、昨日疲れすぎて書き忘れていたが、今泊まっているこのホテルを経営している家族は皆、愛想がよく、すごく親切でやさしい。そして、晩飯にと思って買って帰ったサンドイッチ屋のオバサンも親切な人で、パンのケチャップが衣服に付かないようにと、余計なくらい大目に、そして丁寧に包装してくれた。・・何気ない気使いがすごくうれしかった。ルーアンの人達はやさしい心の持ち主ばかりなんだろうか?何かこう、今までと違って情味を強く感じた町であるような気がした。これも「ジャンヌダルク・ロード」を全完走した"ご褒美"なのか?(ちょっと違うか・・?)

※ここのホテルの多分、娘さんだと思うが、メガネをかけた笑顔がものすごくよく似合うメチャメチャかわいい娘がいた。いいなあ〜やはり外人さんもいいもんだ^^

早速、ルーアンの市内観光に出かける。始め、ジャンヌダルクの塔に向かうが、AM10:00から開門となるというので後回しにして、サン・トゥアン教会に向かう
ここはジャンヌダルクがピエール・コーション大司教によって恐ろしい処刑裁判(宗教裁判)が厳かに行なわれた教会である。にっくきピエール・コーション(待ってておくれ。今、こいつの墓に唾を吐きかけてやるからな。ぺッぺッ)は、ジャンヌダルクに濡れ衣を被せ、そして、何ヶ月にも渡る一方的な裁判と拷問の末、ジャンヌダルクは裁判に敗れてしまい、この教会の裏、今ではうららかな公園になっているが、ここで火あぶりの処刑宣告を言い渡された忌まわしい場所だ。(もう一回、こいつに唾を吐きかけてやる・・)
公園の外周をぐるっと廻ってみて、なんとも言えぬ気持ち、感情がこみ上げてきたフランスの為に戦ったジャンヌダルクが、イギリス軍でもフランス軍でもない中途半端なバカなブルゴーニュ派のピエール・コーションの陰謀によって・・・。
この公園で恐ろしい処刑裁判が行なわれていた。 処刑宣告文の内容がここに・・
教会の中は今は入れない状態なので、諦めて、ジャンヌダルクの塔に向かうことにした。この塔は、ジャンヌダルクがこの塔のちょうど2階の間で、半年間の間、鎖に繋がれ、身動きのとれぬまま、幽閉されていた場所だ。
ここには、この悲劇のヒロインの為に捧げられた「祈りの花」があふれんばかりに添えられていて、そしてその花の匂いが、ここを訪れる人々に何かを訴えかけているようにやさしく包み込む・・・・合掌。この塔を管理しているマダムも愛想のいい人で、「ボンジュール。ようこそ、日本人が来てくれてうれしいよ。」と言って、すごく喜んでくれた。
ジャンヌダルクの塔 ここで半年間の間幽閉されていた
そして最後、今はマルシェ広場となっているジャンヌダルクが火あぶりの刑に処せられた場所に向かった。
今は買物市場になっていて、すごく活気があり、廻りはカフェテリアなんかで取り巻かれている。このちょうど真中にジャンヌダルク教会とジャンヌダルクを祭った記念碑が建てられていた。
ジャンヌダルク教会 Sol du moven age
教会の中に入ると、このルーアンの町を・・いや、これからこの国の将来を担っていくであろう子供達が、神父様の前で手と手を繋ぎあい、深い信仰の意を表しあっていて、そのすぐ側で、何十本と赤い蝋燭が赤々と絶え間なく燃え上がっていた。そして、俺もその蝋燭に燈を燈し、今までの旅の報告と「ジャンヌダルクの実在」について確信した。
老若男女問わずに創っていく、これからの未来を。 灯火は消えない・・ずっと、永遠に。
教会の南側にはジャンヌダルク博物館があり、蝋人形によってジャンヌダルクのその半生を忠実に再現されたものがあったり、当時裁判で使われていたラテン語の判決文など、その時の生々しい遺物があったりした。
ラテン語の判決文
「15世紀前半、まだオオカミが我が物顔で歩き廻っていた時代、人々が何も信用出来なかった暗黒時代、そう、もっとも腐敗した時代に精一杯生きたその19歳の少女は500年経った今、"普通の明るさ"を取り戻し、このルーアンの町で生きている。
ルーアンだけ?・・いや、この国・フランスに生き続ける人々の心の中にこの少女の""魂""が宿り続け、このような今では立派な、そして世界でもっとも華やかで美しい国、すばらしい人々が存在し、ジャンヌダルク(愛国心)を誇りに思い、生活している。」
すばらしい国にすばらしい人々・・
しかし、それは当たり前のことだ。なぜなら、彼らの魂に・・心に・・歴史上もっとも偉大な"羊飼いの少女"が生きているんだから・・・

「ありがとう・・ジャンヌダルク。そして、フランスという国。Merci.俺みたいなちっぽけなウンコみたいな人間に、自信と勇気、そして生きる希望や夢を与えてくれて」
愛する国に生きつづける・・・
もう怖いものはなくなった。
自分の本当の姿、”表情や気質”がハッキリとこの”異端の旅”を通して見えたと思う。

そして思う。マーク・トウェインという大作家がジャンヌダルクに心を動かされたということが今、ハッキリと・・・
「joan of ark」なんと神々しい言葉なのだろう
「ジャンヌ・ダルク」!
それは、何とわずかな言葉なのだろう、豊かな世界が空虚な貧しい世界に変えられたこの物語を、皆さんにお話しする為には!
Mark Twain


●フランス滞在期間 20日間
●自転車全走行距離717km

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